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When most I wink

  • 執筆者の写真: rain
    rain
  • 2022年10月27日
  • 読了時間: 23分

◆このお話は、3部のベランダ事件で分岐する【原作if】です。

◆モモがマカオの娼館に売り飛ばされる

◆モブ×モモ表現(生々しい性描写は無いハズ)

◆モブキャラが跋扈

◆旧Re:valeが喫煙者


25万字あるので続きはpixivに投下してあります。




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Sonnet 43    When most I wink, then do mine eyes best see, For all the day they view things unrespected; But when I sleep, in dreams they look on thee, And darkly bright are bright in dark directed. Then thou, whose shadow shadows doth make bright, How would thy shadow's form form happy show To the clear day with thy much clearer light, When to unseeing eyes thy shade shines so! How would, I say, mine eyes be blessed made By looking on thee in the living day, When in dead night thy fair imperfect shade Through heavy sleep on sightless eyes doth stay!   All days are nights to see till I see thee,   And nights bright days when dreams do show thee me.

William Shakespeare - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -




―― プロローグ ――


 

 きらきらと、世界が回っていた。

 床に適当に投げ捨てられていたジャケットの赤にジーンズの青、キッチンのカウンターの上に置いて行かれた観葉植物の緑。壁に飾られたポスターから溢れたライムグリーンにマゼンタピンク。それらが一緒くたになって混ざり合い、くるくると回っているのである。

まるで万華鏡のような美しい世界の中に漂いながら、百は今にも飛びそうになる意識を叱咤して、目の前の男を睨み上げた。

「――大丈夫? うんうん、とびっきり可愛い顔をしてるから飛ぶように売れると思うなぁ~!」

 奥歯を噛みしめると、今にもアルコールが食道を駆け上がってきそうになり、慌てて口を開けた。はあ、はあ、と大きく呼吸をすると少しだけ万華鏡のように回る視界がクリアになった気がするが、おそらくそんな気がしただけで、流し込まれたテキーラが血中から消えていくわけではない。

 それでも絶対に自分が為さねばならないこと。

 それは、相方の千を傷付けさせない約束をもぎ取ることだった。

「――え、職業? アイドルだよ! 日本で一番売れてるア・イ・ド・ル!」

 男の声が嬉しそうに上ずった。

 百は眉根を寄せた。視界の端で、押し入って来た黒いスーツの男たちが、高笑いする男と百の挙動を見守っている。

 逃げることはできないだろう。

 いや、逃げることなど百の選択肢に無い。なんとしても千だけは守らなければ。

(ユキを……、絶対に傷付けさせない……!)

「――あははっ! じゃあ手筈通りにヨロシク!」

通話が終わると、男はその場でくるりと一回転して両手を天井に突き上げた。

「ヤッタ~~っ! Re:valeは解散だぁ~~っ!」

男の上機嫌に対して百は、地底を這う蚯蚓のような弱々しい音で苦笑する。

「オレ……、どこに売られんの? 顔が知られてるから売り飛ばせないって、数分前に聞いたばっかなんだけどなぁ……」

 可愛い顔と言われた顔面を最大限に可愛らしく引き攣らせて、百は愛想笑いを口元に浮かべる。男は通話を終えると、ほっそりとした長い指で摘まむようにしてスマートフォンを見せびらかす。

「さ~てモモぉ? どちから一つだけ選ばせてあげるよ」

「わーっ、二つも選択肢があるんだぁー?」

 百はわざとらしくはしゃいだ声をあげる。その拍子に食道を競り上がってくるアルコールを無理やり胃酸ごと呑み下した。

「そうだよっ! 僕はと~っても優しいからねっ!」

 語尾に音符マークでも付きそうな勢いで、男は――月雲了はこちらを見下ろしてくる。きらきらと回る百の視界の中でこの男だけが世界の支配者なのだと思わされるような芝居がかった言い方に腹が立つが、百はぐっとこらえて口角を引き上げる。

「ひとつは、――」

 男の声が、急に沈んだ。

「――このままベランダから飛ぶこと」

「………」

 白い指先がベランダを指し、百は視界の端でそれを捉える。

「もうひとつは、日本を去って二度と芸能界に戻らないこと」

「………、どちらか選べば……」

 百は吐き気とともに込み上げてきた痛みを噛み殺した。

「オレがアンタの前から消えさえすれば……、今後ユキには絶対に手を出さないって約束してくれるってこと?」

「ダメダメ、ちゃんと条件を聞いてから選ばなきゃ」

「どっちだって同じだろ」

 どのみち百に楽な道は与えられていない。死ぬか、去るか。どちらを選んでも千と離れなくてはならない。それならば、どっちの選択肢でも大差など無いのだ。

 百は吐き気に追い立てられるフリをして、床に座り込んだまま蹲った。掌を合わせるようにして縛られた両手をきつく握って、親指の根元に額を擦り付けながら瞼を閉じる。

(考えろオレ、ユキを傷付けさせないための最善の選択肢は……)

 日本を去った後のことなど聞かずとも、どのみち百は千の前から消える。条件を聞いても同じことだ。

だが、自分にとっては同じだが、ユキにとっては違うだろう。

(ユキが傷付かない方……、もしもオレが死んだら……)

 モモがベランダから飛び降りれば、ユキは泣いてくれるだろうか。泣いて追悼の歌を作ってくれるだろうか。

いや、それはない。きっと再起不能になる。万理が生きて彼の元を去った時でさえ二度と曲など作らないと宣うほどに傷付いたのだから、今度こそ傷付いて立ち直れなくなる。それは何としても避けなければならない。

(もしも、オレが、バンさんみたいに消えたら……)

 この選択肢は、五年目の賞味期限を前に何度もシミュレーションしてきたことだった。きっとユキはまた傷付くだろう。傷付いて、またギターを捨てようとするかもしれない。

だが、あの時とは状況が違う。今のユキにはユキの音楽を愛してくれる大勢のファンがいる。恩義のある先輩がいる。面倒を見ている可愛い後輩がいる。アーティストの仲間だっている。そしておかりんが、事務所の人々がいる。誰より万理が、きっとユキを支えてくれる。

(やっぱりダメだったって思えばいい……)

 じわりと湧き上がった涙に、モモは奥歯を噛み締めた。

(五周年以降は、やっぱり傍に居られなかったって……、続けられなかったって……思えばいいだろ……)

「どっちも同じって言う割には、決断が遅いねえ?」

 祈るように蹲った百の頭上に男の嘲笑う声が降り注ぐ。

(ごめんねユキ……オレ、やっぱりユキの隣にはいられないや)

 心の中でユキに詫びると、モモは勢いを付けて顔を上げる。

「決めた――」

 その両眼には強い光が込められていた。

「――オレは、日本を出る。ユキの前から消えるよ」

 きらきらと、世界は回っていた。まるでガラスが粉々に砕け散ったような、美しすぎる世界だった。

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1 緞帳



「本当に……っ、申し訳ありませんでしたっ……!」

 社長室の応接セットの横に膝を突くなり、くたびれたワイシャツの袖を腕まで捲り上げた青年は床に這い蹲るようにして頭を下げた。モモの専属マネージャー吉田が顔をくしゃくしゃにして叫んだ後に、ユキに向かって土下座したのである。

「俺が百さんの傍にいれば……こんな……こん、な……!」

 項垂れた後頭部から元気よく突き出した短髪の一本一本が、大きな窓から降り注ぐ真昼の光に反射してつやつやと輝いている。二週間前くらいだっただろうか、モモがサブマネとヘアワックスの話をしていたのだ。新製品が出たとか、香りが良いとか、セットが毎朝大変だとか、そんな話だった。自分には関係ない話題だからと耳に流し込むだけだったが、何気ない日常会話すら遥か昔に交わされたかのように感じられた。

「もう黙って」

 縋るように見上げられ、ユキは苛立ちと共に前髪を掻き上げた。

「でもっ、狗丸さんとのお話の後に俺がちゃんと、ちゃんと確認して百さんを回収していれば……、こんなことには!」

「結果論だろ」

「でも……、千さん……ッ!」

 応接セットのソファの背凭れに尻を預けながら、ユキはこの一週間で何度目かわからない深い溜息を腹の底から吐き出した。

「吉田くん、ちょっと落ち着きましょう」

「岡崎さん……でも、でも……」

「いいから、ね。ここで吉田くんが何回土下座しても、百くんは帰ってきませんよ」

「岡崎さん、本当に……本当に申し訳ありませんでしたッ!」

 何百回目かわからない謝罪も聞き飽きた。謝られるたびにぶつけどころの無い苛立ちが熱になって首筋を走り抜けて行き、ユキは怒りを耐えるようにきつく瞼を閉じる。

 そもそもサブマネを騙して単独行動をしたモモもモモだ。月雲了が危ない男だと解っていたのに、誰にも連絡を入れずにのこのこと後をついて行ったのだろう。

 モモが消えた。

 モモが、消えたのだ。

 失踪から一週間経過した今も全く消息が掴めない。

 電話をかけようにも、ラビチャを送ろうにも、モモのスマホはモモのマンションの電子レンジの中から焦げた状態で見つかった。部屋は荒らされ放題で、どう考えても普通ではなかった。モモが自分の意思であの部屋を出て行ったとは考えにくい状態だったのである。

 ユキとマネージャー陣で方々手を尽くして探したが、マンションを出た後のモモの詳しい足取りはつかめなかった。自分たちで捜索できる範囲を調べ尽くしてしまった今日、岡崎事務所の社長室には、社長と岡崎凛人、モモのサブマネの吉田、ユキのサブマネの水野、そこにユキが加わって、行き詰った捜索に活路を見出すための作戦会議が行われていた。

「謝るならファンに謝りな。モモが居なくなったせいでライブができなくなったんだからな」

「千くん! それは吉田くんだけの責任じゃありませんよ。責めるような発言は控えて下さい」

「責めてないだろ! 僕が誰を責めたって言うんだよ!」

「千さんっ! 落ち着いて……!」

 ラム酒に火を放ったようにして声を張り上げたユキを、ユキのサブマネの水野が身体で押さえつけるようにして制止する。ユキは何か言葉を捻りだそうとして唇を数回開閉させたが、結局何の音も紡ぎ出せずに、今度は威嚇するように短く息を吐き捨てる。

 きつく握り締めた指先が、掌に白く食い込んでいた。

『アイドルデュオRe:vale、2デイズライブ延期。事務所からの詳細説明は依然なし』

 モモが消えて一週間、どのメディアもこの話題で持ちきりだ。岡崎事務所は沈黙を決め込み、各方面からの問い合わせに対しても『追って対応を致しますので、後程ご案内させて頂く詳細をお待ちください』の一点張りで通している。

 仕方がないのだ。モモの行方が掴めないのだから。

 行方どころか、安否すら判明していない。

 岡崎事務所の社長、岡崎凛太郎は今日も今日とて社長室に閉じ籠り、業界方面への対応策を練り出している最中だ。

「そもそも、どうしておまえが百の行方を知らないんだ……」

「僕が知るか!」

 呆れたような声音と共に投げつけられた凛太郎の言葉に、千は三人掛けのソファにどかりと座り込むと肘掛けに肘を突きこめかみを揉んだ。

「僕が知ってたら誰も苦労しないだろ」

「争った形跡があったわけじゃないんだろう? 血痕があったとか、窓ガラスが割れていたとか――」

「凛太郎はあの部屋の惨状を見ていないから暢気なことが言えるんだ。僕とおかりんはあの部屋を見てる。事件に巻き込まれたとしか思えない状況だったんだよ」

 ŹOOĻを脅して得た情報では、月雲了がモモを連れて去ったらしい。トウマと別れた後にマンションに戻ったという確証は無かったが、ユキはひとまずモモの部屋を訪れることに決めたのだ。

 そして、乗り込んだ部屋があの状態である。モモと月雲があの部屋に戻ったところで何某かの物騒な遣り取りがあったことは想像に難くなかった。

 まるで乱闘でもあったのかと思うほどの荒らされた室内に、ユキは一瞬茫然としてしまった。

 まるでではなく、実際に乱闘があった。すぐにそう思った。

 一足遅かった。これもすぐに、そう思った。

 床にはテキーラの空瓶が転がり、絨毯は折れて捲り上がっていた。その上に無限とも思えるような靴跡が押され、フローリングにもあちこち傷が残っていた。書棚に押し込められていたCDなどのディスク類も床に散らばり、壁に掛けられていた写真のフレームも床に落ちて硝子が粉々に砕けていた。ユキがモモの部屋を訪れる口実として設置していた観葉植物も倒れていて、土がフローリングの上に散らばっていたのだ。

モモと月雲の他に男が数名入り込んでいたのだろう。靴跡のサイズからして女が混じっていた可能性は低い。どの足跡も大きいので、相当大柄な男たちだったようだ。

 部屋の中を見回し、検分した。部屋の中で何が起こったのか、できる限り冷静に想像をしたが、浮かんでくる想像はどれも最悪なものばかりだった。

 きっと大丈夫だ。

 モモは無事におかりんが拾ってくれている。

 ユキに連絡が無いだけで、あちらには連絡しているはずだ。

 そして数分経っておかりんが息をきらしながら部屋に現れてその顔を見た時に、全身から血の気が引いてゆくのを感じた。マネージャーが血相を変えて駆け付けるということは、モモの所在が掴めていないことの証明に等しかったからである。

 モモの最後の足取りは、ŹOOĻの狗丸トウマと喫茶店で会っていたというところまでは確定している。これは失踪後にトウマに再度確認したことだし、サブマネの吉田もモモから直接、トウマと会うと告げられていたから決して覆らない確かな足取りなのだ。

 モモが失踪した夜のうちに、マネージャー陣がモモの翌日以降のスケジュールを調整するのに奔走した。なんとか三日分の調整を済ませる頃には日付などすっかり変わり切り、小林のように乱立するビルの隙間を縫うようにして朝陽が降り注いでいた。

 不眠不休の翌朝、おかりんの運転でモモの実家を訪ねた。

 大きなマゼンタピンクの目を眠たげに擦りながら玄関先に出て来たモモのお母さんは、ユキの連絡なしの早朝訪問に度肝を抜かれて気絶しかけた。普段ならばこういう所作にモモとの血の繋がりを感じて微笑ましく思うのだが、そうも言ってはいられない、無駄な不安を与えないようにアイドルスマイルで顔面をコーティングして、モモが帰ってこなかったかと尋ねてみた。

 お母さんの返事はユキの予想通りである。帰省があったどころかラビチャの一本も無いらしい。

『たまには二人で帰って来てね? お父さん、最近裏庭で野菜を作り始めたの。千くんが来た時に食べさせたいみたいだから』

 ふっくらした頬の可愛らしい笑顔に見送られて、ユキは逃げるようにして春原家を後にした。一晩で荒みきった心がお母さんのモモによく似た弾けるような笑顔でほんの少しだけ癒されたのが、ここ一週間のユキにとっての唯一の救いだった。

 事務所に帰宅次第、ユキが覚えている範囲でモモの友人と呼べる存在に連絡を取り、モモから連絡が無かったかと聞いてみる。応えはどれも「ノー」だ。友人を頼ってどこかに身を寄せているという線も薄いようだった。

 そうなってくると、モモの居場所を知っていそうな残りの人物は業界関係者……、月雲了以外の、業界関係者である。

 ここに向かって動き出そうとしたユキに、ストップをかける者が居た。

 岡崎事務所の代表取締役、岡崎凛太郎である。

 アイドルは、というか、芸能人はイメージが最も重要視される人気商売だ。大衆イメージを損なうことはアイドル生命の危機に直結する。

 モモが本当に失踪したのか。その理由は何か。理由が判明したとして、それがモモの意図したものなのかどうか。もし意図していたとしたら、どう対応すればいいか。

 それが定かではない以上、無駄に騒ぎを大きくして業界やファンに不安を与えてしまえば、それがどんな理由であれ、モモのイメージどころかRe:valeのイメージに傷が付いてしまう。

 だからもう少し待て。せめてあと一週間は待て。モモが自分の足で帰って来る可能性も捨てきれない以上、今すぐに公的機関に助力を求めるのは早計だ。

そう言うのである。

「そもそも、あの子が僕の傍を離れるわけないんだよ」

「随分言い切るな」

「凛太郎だってそう思ってただろう? そう思ってたから、五周年を目前にして何もしなかったんじゃないのか?」

 凛太郎はムカつくほど悠長に構えた男なので、今にも交番に駆け込みそうになるユキの長い後ろ髪をむんずと掴んでなかなか放そうとしてくれない。それがまた余計に焦りと不安に拍車をかけて、ユキに絶えまない苦痛を感じさせる要因のひとつにもなっているのだった。

 凛太郎のことは未だに心から信頼しきれない部分の多いユキである。事の始まりは万理が怪我を負ったことで契約を白紙に戻したこと。そこから細々とした「こいつとはあまりウマが合わないかもしれない」が重なって、終いには五周年の件だ。

 モモが五年でRe:valeを辞めようとしていたことを、凛太郎はモモとの再始動の時から知っていた。知っていて、モモに真意を聞き出そうともしていなかったし、相方のユキに探りを入れることもしなかったのだ。

 もしもモモの気持ちを事務所側だけでも把握していたら、モモの声が出なくなることもなかったかもしれない。モモの不安を事前に察知して、ユキだって少しは迂闊な言動をモモの傍でしないようにと気を遣えたかもしれない。きみだけが最高のパートナーだよと事前に囁き続ければ、モモは区切りに怯えずに済んだかもしれないのだ。

 などと、配慮に欠ける言動や行動でモモを傷付けてきた自分を棚に上げ、揺らがない絆を構築できなかった責任を凛太郎にまで追求し、口から内臓を飛び出させてやろうかなんて思うほどに凛太郎をタコ殴りにしてやりたかった。

 そんな経緯があるから余計に、警察にと訴えるユキの行動を制止させるのには、活動の継続やマスコミ対応以外の裏があるのではないかとユキは勘繰ってしまうのだった。

 しかし一方で、警察に駆け込んでモモを捜索してもらうにしても、ユキひとりの訴えだけではすぐさま捜査を開始してもらえないということも、紛れもない事実だった。

 この辺りは刑事ドラマ常連のユキだからこそ認識に抜かりは無い。行方不明者届を提出し警察が受理できる条件の大原則は、提出する側が捜索対象の保護者または配偶者、親族にあたる人物でなくてはならない。それ以外だと、監護者、福祉施設の職員、同居人、その他社会的繋がりが密接な場合が受理条件の該当者に当てはまる。しかし、親族以外の者からの提出には事件性の有無も関わってくるので、受理自体を拒まれることもある。

 つまり、モモの安否をユキがどんなに案じていても、受理されない可能性が高いということである。

 モモの戸籍を五年前に確実に奪っておかなかったことをこれほど後悔させられる出来事は無い。モモの所在を突き止め次第すぐにやっておきたいことの第一位は、モモと結婚するか、それに準じる権限を行使できる手続きを断行することに思えた。

 モモの気持ちなんてどうでもいい。愛だの恋だのはこの件に関しては些末事だ。モモのことを誰よりも心配して、モモを公私ともに必要不可欠な存在だと誰よりも認識しているユキが、どうして他の誰かに頼み込んで法的手続きに打って出る手間に時間を取られなければならないのか。理解はできても納得がいかない。法律がおかしい。他の人々には当て嵌まらなくてもいいから、自分たちにだけには良い具合に配慮されるべきだ。

 何故ならRe:valeは、誰もが認める『仲良し夫婦』なのだから。

(………、考えてたら腹立ってきた……)

 ユキは胸の裡に湧き上がって来た不快感を押し込めるようにして口元を掌で覆った。

 項垂れた顔から睨め上げるようにして周りを見れば、ユキの眼前では、男が四人、一様に口を噤んで黙り込んでいる。

 モモが意味もなく居なくなったりするはずがない。ユキに何も言わずに、一週間も連絡が付かなくなることなどあり得ないのだ。

 いや、わからない。ユキがあり得ないと思っているだけで、モモの中にはその選択肢が存在したのかもしれない。

『ずっとずっとRe:valeでいられること! オレが欲しいのはこれだけなんだ』

 誕生日企画の冊子に、モモはそんな夢を寄せていた。それを見たユキは、随分と健気で可愛らしいことを言うものだ、と思った。

 万理の代わりにしてくれと五年前のモモは言ったが、あの頃からユキは、モモを万理の代わりにしようだなどと考えたことは無い。万理の代わりには誰にもなれない。その万理は去ってしまった。きっと戻って来ないだろう。そんな予感があった。

 だからRe:valeを再始動した瞬間から、今のRe:valeはモモとのRe:valeなのに、モモはあんなふうに夢を語っていたのだ。

 あの冊子を読み返す度に、心の底からモモのことをかわいいやつだと思った。それほどまでに僕の傍に居たいのなら、死ぬまで離さない。ユキは本当に、そう思っていたのだ。

(あれは全部、うそだったのか……?)

 ユキの中に昏い疑問が湧いた。

 そんなふうには思いたくない。TRIGGERの一件もある。モモはトラブルに巻き込まれただけで、必ずユキの元に帰って来る。

 そう思う反面で、果たして本当にそうだろうか、という考えが湧き上がってくるのを抑えられなかった。TRIGGERが軟禁されたのは、生放送での出演拒否の前科があって、そこに付け込まれたからだ。

しかし、それが命の危機を伴うものだったのかと問われると、そうだろうかと後々になってユキは首を傾げていた。放送時間に間に合わないように一時的に幽閉されたが、彼ら自身を傷付ける意図はあちら側には無かったように思う。傷付ける目的があったのならば三人纏めて縛り上げた後に、好きなようにいたぶってやればいい話だ。人の往来の多い大都会でわざわざ三か所も人目に付かない場所を選ぶのは大変だし、そもそもタクシーで移動できる距離に置いておくのもおかしい。傷付けるのならば、最悪の場合殺害まで至る致命傷を負わせることが前提ならば、拉致した後にすぐに郊外まで移動するはずなのだ。

 そうしなかったのは、生かさず殺さず傷付けずの状態で三人纏めて同じ場所に押し込めて、万が一にも脱走されるのを防ぎたかったからだろう。

 あの事件を考慮して今回の足掛かりを探すのならば、モモはこの一週間、どこかに軟禁されているはずだ。2デイズライブは延期になり、事務所にも千にも痛手になった。何よりRe:valeのファンを裏切ることになったのだから、充分な効果を発揮したといえるだろう。

 つまり、もしもモモの失踪の真相がそういう類の事件であれば、もうそろそろモモは開放されてもいい頃合いなのである。

 それなのに、戻って来ない。

 スマホも財布も持っていないだろうから、自分の足で戻って来れない場合も考えられる。しかし、ユキのスマホの電話番号は暗記しているはずだから、どこかに駆け込んで電話を借りるなり何なり方法はあるはずなのだ。

 それなのに、戻って来ない。

 モモが帰って来ないのである。

 ユキは疼くように痛みの湧き始めたこめかみを人差し指で揉むと、軽い溜息を落とした。

「千くん、どこに行くんです?」

 ゆらりと立ち上がり社長室を出て行こうとするユキの後姿に、おかりんが不安げな声を上げた。ユキは振り返りもせずにそのままドアノブに手を掛ける。

「タバコ」

 それだけ呟いて、社長室を出た。

 社長室の前の廊下を突き当りまで進み、普段は滅多に使うことのない非常階段を上ってゆく。十一階から屋上へ、一階分の折り返し階段を上がるのにすら、ここ最近の睡眠不足が祟って足が重かった。階段を上り終わって屋上への出入り口を塞いでいる金属扉を開けようとすると、今度はドアノブが滑る上に、扉が重くてなかなか開かない。

「クソ……っ!」

 勝手知ったる我が家のようなビルにまで行く手を阻まれた気がして、ユキは半ば咆哮のような罵声を浴びせながら金属の扉に体当たりする。

「どいつもこいつもっ――」

 イライラする。

 漸く言うことを聞いた扉が重い軋みを上げて外に向かって開き、ユキは眩しさに目を細めた。

 屋上に足を踏み入れた途端に真昼の陽光に焼き尽くされる。さして広くもなく高さがあるわけでもない小さなビルの屋上は、周囲に聳える高層ビルに見下ろされた箱庭のようだった。

 灰色のコンクリートを踏みしめながらビルの辺縁をぐるりと取り囲む柵を掴むと、ビルの谷間を駆け抜ける生温い風が吹き上げてくる。覗き込んでみれば途端に風が髪を巻き上げて、薄いカーディガンの裾が音を立ててはためいた。たった十二階分の高さしかないのに、地上を走る車がおもちゃのように小さく見える。ここがナイアガラの滝ならば清々しい気持ちが胸の中に溢れるのかもしれないが、とてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。

「千くん……っ!」

 背後から声高に叫ばれて、ユキは鬱陶しげな空気を纏いながら振り返った。

「来ないで」

「千くん」

「独りにして」

「………」

「大丈夫だよ。別に飛んだりしないから」

 風に巻き上げられた横髪を押さえながら、ユキは自分たちのマネージャーを睨み付けた。おかりんは一瞬、眼鏡の奥の大きな両眼に真昼の陽光を集めながら眩しそうに目を細める。しかし、ユキから視線は逸らさなかった。

 その黒々とした両眼の圧力に耐えきれずに、ユキはまた、視線を地上を行き交う車に向けた。

 モモのことが許せなかった。

 モモにまた、嘘を吐かれた。もしかしたらユキはずっと、モモに騙されてきたのかもしれない。

 そんなふうには絶対に思いたくないのに、目の前にモモが居ない現実がユキの思考を昏い方向へと加速させてゆくのだ。

「今から怖いコトいうけど、聞かなかったことにして」

 二人分の距離を空けて柵にしがみ付くようにして下を見るおかりんに、ユキは独り言ちるように囁いた。

「いいですよ。聞き流すのは得意です」

「僕が本気で言ってても、何も言わないで」

「わかりました」

 ユキの足元に伸びるおかりんの影が、大きく頷いた。

「モモを殺す」

 ひときわ強いビル風が壁面を駆け抜け、長い髪が巻き上げられてゆく。その様はまるで怒髪衝天そのものだったが、マネージャーは何も言わず静かにユキの方を見ただけであった。ユキの声が、怒りよりも悲しみに満ちていたせいだろうか。

「モモを必ず見つけ出して、殺す。僕は逮捕されるから、その前に事務所辞めるね」

「笑っていいのかどうなのか微妙なところですね」

「何も言うなって言っただろ」

「独り言です。ユキくんにしては珍しく強い決意を言葉にしたから、ちょっとびっくりしちゃったんです。自分は賛成です」

 風が吹き抜けてゆく屋上でこちらにまで聞こえる独り言があってたまるか。そう詰るつもりだったのに、思わぬ賛同を得られて、ユキはマネージャーを見た。

「僕が逮捕されることに? それともモモを殺すこと?」

「後者ですね」

「なんで?」

「だって、必ず百くんを見つけ出すんでしょう?」

「………」

「百くんはきっと喜びますよ。その後に千くんに殺されるってわかってても、きっと泣きながら喜んでくれるはずです」

「そうかな……」

「そう思います」

 力強い音が風の向こう側から鼓膜を打つ。ユキは柵に両肘を乗せると、両手で顔面を覆った。

 無性に腹が立った。

 万理が消えた時以上に腹が立って仕方がない。

 憤慨、激昂、忿怒。どの言葉を以てしてもユキの心中を的確に表現する日本語は存在しないだろう。

 モモを殺したい。モモを見つけ出して、殺して、二度と自分の傍を離れないように硝子の棺にでも何でも入れて常に目に入るところに一生置いておきたい。罰を受けて当然だ。なぜならモモは、これから先一生ユキの傍を離れないで居るべきだから、余所に向かって飛んで歩く身体なんか必要ないのだ。

 そんなことを想うまでに、ユキは誤魔化しようのない憤りを肚の奥に抱えてしまっている。

「自分はお二人のことをずっと傍で見てきましたけど……」

 地獄の釜から這い逃げて来たようなユキの呻き声を聞き流しながら、おかりんが呟いた。

「ああしろこうしろとは言わないできました。勿論注意はしますが、自由な発想で好きに働いてもらうのが自分の方針です」

 マネージャーの自信満々な顔つきを横目にした後に、ユキは眼球をぐるりと明後日の方向に動かした。

「でも、警察に届けるのはもう少し待ってあげてください。百くんのためにも」

「じゃあどうする? 探偵でも雇う?」

「そうですね、数名雇ってチームで日本中を包囲しましょう」

「もし……探しきれなかったら?」

 五年前の時みたいに。とは、言葉にはならなかった。

「大丈夫です。百くんは必ず、千くんの元に戻ります」

 風に煽られたおかりんの前髪がばさばさと揺れていて、まるで雨の日にひっくり返るサラリーマンのようで微笑ましい。

「僕も信じてる……」

「そのまま信じててください。――はい、水野くんから」

 見慣れたモモ色の小さなポーチを差し出されて、ユキは一瞬何のことか思い出せずに呆けた顔をしてしまった。タバコはただの言訳で、吸いたかったわけではないのだ。

「忘れてた」

「あまり心臓に悪いコトを考えないでくださいね」

 それだけ言い残して、おかりんは屋上を出て行った。

「いつも言うじゃん、お小言」

 ユキは口元で少し笑うと、電子タバコにカートリッジをやおらセットすると、チョークブルーの爪の先でボタンを押し込んだ。

(これから先も一生、か……)

 初秋だというのに、頭上の大陽はユキの銀髪を焦がすように照りつけている。まったく、人の気も知らないで陽気なことだ。

(一生Re:valeで居られる保証なんて、どこにもないのにな……)

 そんなことは百も承知で、一生、生涯、永遠に、千年先もモモと歌いたいと願っているのは自分だけなのだろうか。

 右手の中でデバイスが小さく震え、屋上に吹き抜けるありったけの風を吸い込むようにして肺の中に有害物質を送り込む。いつもは爽やかに甘いはずのメンソールのフレーバーは、今は何故か、途方もなく苦く感じられた。

 それは春の土手に咲いているタンポポの花を噛み潰した時のような、堪えがたい苦みだった。





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