◆ユキの喫煙表現あり
◆モモの行動が変態
◆モブ
「ユキ~~、朝だよ~~!」
ドアを開けた途端に声を上げた。
朝の八時にカーテンは閉め切られ、部屋の温度も真夏なのにどこかしっとりと冷えている。窓辺に寄ってベランダのカーテンをザッと開けると、途端に光線のような光がベッドに向かって真っ直ぐに射し込んできた。
「ユキ……、起きて?」
ベッドの上で山になった掛布団はもぞりとも動かず、エアコンの稼働音だけが部屋の中で低い唸りを上げている。
「もお~~ユキ~~?」
「ぅ……、」
「起きてるでしょ、実は起きてるでしょ?」
スプリングに腰かけてそっと肩を揺すると、接触冷感の掛布団がひんやりと掌に触れてくる。ベランダに向けられた背中は芋虫のように丸まっていて、起床を阻む態度が如実に表現されていた。
ユキは本当に朝に弱い。というか、起きる気が無い。いや、あるのかもしれないが、殆ど見受けられない。
現に今も、骨の浮いた薄い肩を大仰に揺さぶってみるが、まるで意に介さないというように全く瞼を上げようとしないのだ。
「ダーリン? お迎えに来たよ~?」
「ん……」
「起きよう? ね? モモちゃんにイケメンなお顔見せて?」
正直、ちょっと面倒くさい時もある。いい歳をした大人が独りで起きられないなんて、社会人失格も甚だしい。ユキじゃなかったらイラつきに任せてベッドの下に蹴り落としているかもしれない。
「起きないとモモちゃん怒ちゃうよん?」
けれども、最早コレは早朝の儀式でもあり、ユキの中に確固として存在する相方に対する甘えでもある気がして、胸の奥にくすぐったい想いが沸き上がってくるのは紛れもない事実だった。
「ぅ……、モモ……」
急にユキの肩が動き、遠心力に任せて長い左腕が降ってくる。背中にゴツンと肘が当たり、その痛みで目が覚めたのか、美しい顔面の中で長い睫毛がゆったりと瞬いた。
「……、なに……?」
「なにじゃな~~い! 朝っ!」
こちらを真っ直ぐに見つめるチョークブルーの瞳が朝日に輝く睫毛に彩られて宝石のようにきらきらと輝いている。その瞳の美しさにうっとりと見蕩れそうになっている自分に気付いて、モモは慌てて相方の身体を揺すった。
「今日は八時半に楽屋入りだよって連絡したじゃんよぉ!」
「そうだった……?」
「迎えに行くよって電話したの忘れちゃったの~?」
「……そう、だった?」
「だめだこりゃ」
そう言い捨てて、ベッドのサイドチェストに手を伸ばす。電子タバコのデバイスをコンセントに繋がれたままのコードから抜き取り、カートリッジを突っ込んで電源を入れると、ボタンを押してランプを点滅させる。のそり、と後ろで気配がして、長い腕が背中から圧し掛かってくる。点滅が終わったのを確認して口元にカードリッジの吸い口を持っていけば、唇を突き出してニコチンを吸い込んでいるユキの顔は、イケメンと煽てるには努力が居るほどにしょぼくれていた。瞼も両方閉じられていて、それなのに息だけはちゃんとできてタバコを吸うんだからどうしようもない。
「目ぇ覚めてきた?」
「むり……」
ふうぅ、と長く煙を吐いた後で、小さな声でそう返ってくる。
「めっちゃ吸ってんじゃん」
「むり……勃ってるから」
「うっそ」
「ホント」
背中にかかる体重が変化して、ごそごそと衣擦れの音とともにスプリングに腰かけたモモの腰に硬いものが押し当てられる。これがアメリカのドラマだったら枕元に拳銃を隠していたというパターンもありえるが、残念ながらここは日本の東京だ。
完璧な朝勃ちである。
「おしっこしたら収まらない?」
「おしっこ、したくない」
子どものような拙い言い方なのに腰に押し付けられる硬さが凶暴すぎて、その違いに少しだけ目の前がくらくらする。眩暈ではない。血が首筋を駆け上がってくるときに感じる、微かな興奮だった。
「モモ……」
耳元に囁かれる音と一緒に腹を撫でる手が胸を這い上がり、顎を掴まれて振り向かされる。
「ん……っ、……」
唇を合わせながら隙間からそっと差し込まれる舌先を拒めない自分に、モモは内心で溜息を吐いた。
「抜いたら急いで準備だよ~」
「ん……」
モモの右手で電子タバコのデバイスが二度振動して、それを合図とするかのうようにベッドに押し倒された。
「モモもちょっと勃ってるよ……」
「言わないで! 朝からエッチで恥ずかしいって思ってるから!」
「くくっ、それ自分で言っちゃうんだ?」
「あ、ぅ……そんなとこ、触らなくて……いいってぇ!」
Tシャツの中に滑り込んできた指が胸飾りを弾いてくるので、思わず背中が仰け反った。その隙にハーフパンツを下着ごと素早く下げられる。寝起きなのに随分素早い動きだが、そういえばこのイケメンはやる時はちゃんとできる人なのだ。ヤる時も含めて。
「脚広げて」
両膝を立てられて足の間に割り込まれる。
「んあ、ぅ、あっ、!」
捲り上げたTシャツの裾に頭を突っ込むようにして、胸をちゅるちゅる音が立つほど舐めらる。
ユキが出せば終わるなら手と口で扱いてあげても良かったのに、ちゃんといつものセックスのようにして優しくしてくれようとしているところに、かなりキュンとしてしまう。キュンとするが、それに酔っている暇はそんなになくて、気持ちよさに蕩けそうになる脳髄に自分で喝を入れてモモは左手でチェストの方を探った。
「ローション取って」
「使わなくて良くない?」
「ダーメ、時間ないって言ってんじゃん」
「僕との関係はそんな即物的なモノだったんだな、悲しいよ」
笑い含みでそんなことを言いながらチェストの中を右手でぞんざいに引っ掻き回し、ローションのチューブを握りしめながら腹の上に戻ってくる。
「あ、これお尻用だった……ま、いいか」
「ァ、うっ!」
冷たいぬめりが中心に触れて全身がびくりと震えた。すぐにユキの硬いモノが一緒に握り込まれて、ゆるゆると扱かれる。
「っあ、ふうっ、ふう、ン!」
「モモのもかちかちだ」
「ユキぃ……」
捲り上げたTシャツに片手を突っ込で胸を弄りながら、もう片方でユキの首を抱き寄せる。体重が重なって、二人の腹に挟まれた間隙でローションがぬちぬちと淫らな音を立て始めた。
キスの合間に瞼を開けば、途端にベランダの光が虹彩に突き刺さってくる。眩しさに瞼を薄っすらと閉じて重なってくる男の顔を見上げると、ユキは苦しそうに息を吐きながら必死に腰を動かしていた。
朝の光を全身に浴びながらみだらな行為に耽る様は動物的で愚かしいのに、それがとんでもない美丈夫のすることだからか、なぜかそんなふうに思えないのがおかしかった。ただ悩ましい顔付きで何かを演じているようにしか見えない。それなのに腰の奥から湧き上がってくる熱がただただ現実的で、そのギャップに頭の中がだんだんと充血し始める。
「ァ、うっ、ン……ユキと、朝からセックス、してる……はっ!」
「っ、そうね……」
「ぅ、ン、余裕、あるじゃん?」
「ないない……もう無理」
二人分の熱を握りしめるユキの手の上に自分の右手も重ねると、ユキの身体が倒れ込んできた。モモの身体を体重で圧迫しベッドに押さえつけるように抱き込みながら、片腕が尻の下に回ってくる。その手が身体を密着させようと尻を押し上げてくるので、モモは両脚で力いっぱいにユキの腰を締め上げた。
ユキが腰を振りたくる。捏ねるようにローションが鳴って、二人分の体重を受けたスプリングがりぎしぎしと不満を訴える。
耳元で繰り返される呼吸が早い。
耳たぶをピアスごと荒く齧られて、びりびりと背筋に電流が走った。
右手にぎゅっと力を込めると、腰を振り込んでくる速度が増す。
熱い。
激しい。
気持ちいい。
「あっ、ア! ユキぃ……、イ、ちゃ、あっ、ア!」
「っ……、僕もっ、でる!」
「っあ、ア、ンあうっ……!」
「ッ――」
直後に掌に熱い飛沫が散って、二人分の白濁が腹に撒き散らされた感覚がした。
両肩で息をしながらなんとか呼吸を整えると、同じくぜえはあと嵐の海で泳いできたように息を乱しながら、ユキがのっそりと身体を離した。
「っ、ァ……Tシャツ……汚れちゃった」
「はぁ、っ、はぁ……僕の、……着ていきな」
「ありがと」
もちろんそのつもりだったが一応礼を言い、そろそろと身体を起こす。息を乱しながら唇を軽く重ね合わせると、くすぐったそうにユキが笑った。
枕元のティッシュケースから数枚取り出して腹の上と股間を拭い、ついでにユキのも軽く拭ってやる。その間中ユキはぼうっとしながら甲斐甲斐しく世話を焼くモモの後ろ頭を見つめていた。
ティッシュを丸めて握りしめながらユキを見上げると、まるで最期の挨拶であるかのようにして顔面いっぱいに美しい笑みを張り付けながら、こちらを見つめてくるのである。
「ほらぁ! 寝ない! 起きて!」
「………、もう何もしたくない………おやすみ………」
そう言ったきり顔面から枕に突っ伏した相方の二の腕を引っ掴んで自分の首に回し、今度こそバスルームへと向かうべく、モモはベッドを抜け出したのだった。
◆ ◆ ◆
「百ちゃんお肌ツルツル~!」
肩越しに明るい声でそう言われ、自分で思わず鏡を覗き込んでしまった。
下地を塗られただけの頬を両手で挟んで左右に首を振るが、二十八歳らしい、いや二十八歳よりは若干幼い顔付き以外はそれほどつるりとした部分などなくて、こくりと首を傾げる。
「そぉ?」
「今日は特に綺麗じゃない? なに、美容液変えた?」
「ちょっとも~、アキちゃ~ん、聞いてくださる~?」
冷やかしてくるのは付き合いの長いメイクさんなので、モモは井戸端会議に参加する昭和のおばさんテンプレートそのままの身振りで歓声を上げる。
「今朝寝ぼけたダーリンにベッド引きずり込まれちゃったのよ~」
「はぁ~? なんだそれー、リア充かーい」
「ダーリンったら相変わらずお寝坊で困っちゃう」
「とか言って、一切困ってないんだよなぁ~!」
わはは! とお互いに笑い声を上げながら、ブラシでファンデーションを塗りたくられる。メイクの時間は嫌いじゃないが、目を瞑ったり顎を突き出したり色々しなくてはいけないので、すぐに動きたくなるモモにとっては少し窮屈だった。
朝の九時入りで収録開始が十時半。午後から深夜にかけて収録を組まれることの多いRe:valeにとっては目が飛び出るほどの早さで、そりゃあ睡眠時間八時間は欲しい派のユキは眠いはずである。本当はもう三十分早くに楽屋に入る方が余裕があって良かったのに、朝から抜き合いなんていう遊びをしてしまったのでそうも言っておられず、メイクも髪も急ぎ気味で仕上げてもらわなければならなかった。こんなことは口が裂けても言えないのだが、そんなワガママな芸能人の相手など慣れっこのスタッフたちは文句の一つも言わずに笑顔で対応してくれるので大変有難い。
ヘアセットに時間のかかるユキを先にメイク部屋に送り出して、モモは先に衣装を着替えた。交代するためにメイク部屋に入ってみれば、小さめの楽屋の、三枚並んだ鏡の真ん中に座らせられているユキはなんと、スタイリストに髪を弄られながらこくりこくりと居眠りをしていた。
理容室に無理やり連れていかれた二歳児か! とツッコミを入れながらなんとか目を覚まさせて、セットが終わると交代で専用楽屋に戻し、今は衣装に着替えて貰っている最中だ。
「毎回毎回、うちの人が迷惑かけてごめんなさいねぇ」
井戸端会議の延長で心底申し訳なさそうに鏡越しに言えば、モモの気遣いを心得ているメイクさんは意地悪そうな表情をわざと作って鏡を覗き込んで来る。
「奥さん気取りだ?」
「奥さん気取りだよー」
「いいのいいの、スタイリストが忙しかっただけで、私は殆どすることないし。イケメンは楽でいいよ~」
「ほんっとそれ、イケメンはメイク殆ど要らないの、すごい」
「とか言うキミにも殆どしないからね?」
「眉毛描くだけ?」
「そ、眉毛は大事だからネ!」
「あはは!」
笑い声を上げたモモの額に小指でレストが取られて、眉の上を細いペンシルが何度か走ってゆく。殆ど前髪で隠れるのに眉は大事と主張する感覚が、美意識が一般から少し高い程度のモモとメイクアップアーティストとの大きな違いなのだろう。
因みに、収録開始までそれほど時間が無いからという理由で、モモのヘアセットは整髪剤で整えるだけの簡単セットになった。スタイリストはユキのセットが終わると急いで出て行ったらしく、Re:vale以外にも入りの遅れた出演者が居るようだ。洗いたてとか、寝癖がついたままとか、そういう状態で来なくて良かったと心底思う。そんな状態だとスタイリストの手間が増えて、その上時間が無ければかなり焦るだろうから、可哀想なのだ。
Re:valeの百、というアイドルはこういう部分でもスタッフ想いのイイ子ちゃんなのである。
「キレイになったかにゃ~?」
「可愛い可愛い~、ももちゃんは生まれた時から可愛いよ~」
返事がなおざりだから、眉毛の描写に納得がいかないのだ。右に、左に、と微かに何度か描き足され、少し離れて眺められ、鏡を覗き込まれ、そしてまた何度か描き足され……それを数回繰り返し渋い顔で眺め尽くされた後で、彼女は大きく頷いた。
「よし……綺麗!」
「ヤッタ~~!」
両手を上げてバンザイをしてみる。同じようにバンザイをしながらワハハ!と笑い声を上げるこのメイクさんは、基本的にモモとウマが合う。
そういう人たちと仕事をするのは、心から楽しかった。
性格が合わない人にも全力で合わせに行くし、合わせに行って楽しくなるように誘導するから基本的に仕事は全部楽しいのだが、素でノリの合う人とならば演者でもスタッフでも尚更、心から楽しくなれる。
よく、モモのこのスタイルを傍から見て「いつでも楽しそうだよね」と言ってくる人がいる。「楽しいよ」、と返すモモだが、全ての仕事が楽しいから楽しく見えているわけじゃない、というのも本音だった。
仕事を楽しいものと思えるのはそれぞれの心の在り方の問題で、そこに職種は関係ない、とモモは思っている。昔複数回していたバイトだって、今の仕事だって、どの仕事も楽しくする、という意味では全部同じだ。
仕事を「楽しいもの」に変えられる力を秘めているのはその仕事を熟している本人だけで、それができるから「オトナ」であり、社会人なのだ。裏を返して、そう思えない人は社会人じゃないかと言われたら唸ってしまうが、少なくとも、そう思えない人はオトナではないかもしれない。コドモだ。楽しくないと仏頂面で駄々を捏ねている赤ちゃんみたいなものだ。
だから、楽しそうに仕事をする人とは、一緒に仕事をしていて気持ちがいいのかもしれない。
これをユキに言ったら、
「じゃあ、僕は仕事が楽しいから……楽しくない時もあるけど、楽しい時の方が多いから『オトナ』だね」
と笑った。それに対して、
「そうだね~朝ちゃんと起きれたら立派な大人だね~!」
と返したモモだったが、ユキが永遠に寝坊助で、毎朝熱烈なキスをしてエッチなことができるならコドモのままで居てくれて全然かまわない、とも思ってしまうから、我ながらどうしようもないなぁと内心で反省する。
「あれー、百ちゃん、衣装になんか糸みたいなのついてるわ」
メイク用のケープを外しながら言われて、モモは明後日の方向に飛びそうになった妄想にブレーキを掛けて自分の衣装を見下ろした。
今日の衣装のトップスは、シンプルな黒地で、一つ目のエイリアンがスケートボードを漕ぎまわしている絵柄が胸の中央にでかでかとプリントされたTシャツだ。その紫のエイリアンの真剣な表情の横に、よく見ると白い糸のようなものがへばりついている。赤い爪の指先で掬って目の高さまで摘まみ上げてみると、すんなりと長く伸びながらきらきらと輝いている。
髪だ。
ユキの、髪だった。
「ユキのだ」
思わずドスの効いた音が喉から転がり落ちた。余りにも真剣になりすぎて、腹に力が篭ってしまったのだ。
「ほんとだ」
それに合わせるようにして低音で返してくれたメイクさんに笑いながら、しかし内心でモモは焦っていた。
既に衣装に着替え終わっているのに、その衣装にユキの抜け毛が落ちるとは一体どういうことだ? 自分の髪に絡まっていて、それが着替えた後にTシャツに落ちてきたということか? 家からここまでを相当な粘着力で絡まって来た髪の毛一本だが、どうしてそこまでの粘着性を持ったかというと……朝にベッドで絡んだからとしか考えられない。
「うわーっ! 朝からダーリンに甘えてたのがバレちゃうじゃんか~!」
「自分で言ってたわーい!」
「あらやだホント!」
急に井戸端会議に戻ってコミカルに動いて見せると、案の定メイクさんは大声で笑って流してくれた。
こういう時に、言えたらいいのになぁ、と思うことはある。
心から楽しいと思える人たちと、心から楽しいことをしているのに、急に冷や水をぶっかけられたようにして冷静になる。冷静になって、瞬時に自分の行動と言動を振り返って、ユキに分が悪い方向に場が流れないように次に打つ駒の位置と相手の手を計算する。
付き合い始めて三年、この芸風を貫き始めて八年にもなるのに、未だに心臓がびくりと跳ねる。夫婦漫才ネタは嘘かホントか判らないような出まかせを言いつつ大仰にやるから、楽しんでもらえるのだ。真面目なトーンのそういう場面を見たいわけじゃない。
朝に流されて簡単なセックスをしても、外に出ればユキという人間はRe:valeという人気アイドルのユキである。自分のであって、自分のじゃない。だから絶対に、誰にも言わないし、言えない。
それでもふいに、さっきの井戸端会議の真似みたいに、気軽に話せる人が居てくれたらいいのになぁと思うのだ。
ワガママでどうしようもない。
ユキはモモのこういうところをいじらしくて可愛いと言うが、冗談じゃない。ただただ面倒くさいだけで、そんな自分は好きじゃないのだ。
「ユキの髪、キラキラしてる……」
蛍光灯に透かしながらメロメロな声を上げてわざとらしく見とれていたところに、メイク部屋のドアがガチャリと音を立てて開かれた。
「モモ、終わった?」
「ユキぃ~~!」
「えっ、なに、怖いんだけど」
ゴロン! と効果音がつきそうな勢いで首を巡らせると、ゾンビ映画でゾンビの首が転がるシーンか何かに見えたのだろうか、動きにビビったユキが口元を抑えてたじろいだ。
「これは百ちゃんがダーリンの抜け毛を見つけて歓喜に打ち震えているシーンだよ」
「僕の抜け毛? やだな、もうそんな歳か……」
「アキちゃんやめて! ユキもヘンなとこで落ち込まないで!」
若干俯いた相方の傍にすっ飛んで行き、右手の指先に摘まんだままの一本をユキの目の前に掲げて見せる。
「モモちゃんの衣装に引っ付いてきた子が居たの! だから保護して大事に愛でてただけ!」
「僕の抜け毛が勝手にモモに着いて行ったの? 生きてるのかな」
そう言いながらユキは右手で、緩く巻かれたハーフアップの襟足をブルーの爪の先で摘まんだ。そのまま強く引っ張って、いてっ! と声を上げながら髪を抜き取る。そして、呆気にとられてあんぐりと口を開けたモモの右手に向かって、綺麗な顔で笑いながら抜けた一本を渡してくる。
「はい、二人目」
「あっ、ありがとう……大切にするね……」
「三人でも四人でも、欲しい分だけあげるよ」
「太っ腹なユキ、イケメンすぎる……そして今日の衣装も超絶似合う……好き」
「ふふ、ありがと。モモの衣装はヤンチャって感じで可愛いよ。似合ってる」
「や~んありがと~」
「こらこらー、巣に帰れー!」
相変わらず高らかに笑いながらメイクさんは両手を叩き、面倒なカップルを追い出す作戦に出た。
「アキちゃん、紙コップ取って」
「はいよー、何に使うの?」
ドリンク置き場から紙コップを取ってくれたメイクさんは何気なく返す。その中に右手に集まった二本の髪の毛を入れると、モモは満面の笑みを浮かべた。
「ユキの命を入れておくの」
「精液検査かい」
「それはNGデス」
ユキの右腕に左腕をガッチリ絡ませてメイクさんに丁重にお礼を言い、メイク部屋を出た。
「ヒューヒュー! 今日もおアツいね~!」
「ありがとう、新婚なんだ」
「これからコパカバーナまで行ってきまーす!」
「地球の裏側~ッ! 収録も忘れないで~!」
すれ違いざまに冷やかしてくるスタッフに国際線の出発ロビーよろしく笑顔で手を振りながら、収録前のウォーミングアップをする。局の廊下全体にイチャイチャを撒き散らしつつ専用楽屋まで戻ってきたところで、ユキが世紀の大発見をしたような声音で言った。
「モモ、すごいことに気付いちゃった……」
「なぁに?」
「髪、セットしてないだろ」
「ア、………」
バカップルを嫌う仕草に笑いながら追い立てられてそのまま巣まで戻って来てしまったが、本当はあの場でスタイリストを待って簡単なセットをしてもらわなければいけなかったのだ。一面鏡の上にちょこんと寂しく飾られた時計を見上げれば、時刻は既に十時十分を過ぎている。収録開始までなんと二十分を切っているではないか。
「オレとしたことが!」
「このまま戻る?」
「ユキは楽屋で待ってて、ダッシュで行ってくるから!」
そう言いながらモモは、右手に持った紙コップを鏡の前の机に丁寧に置いて、ももりんのペットボトルのキャップを捻る。とくとくと音を立てながら注がれるジュースは温く、甘い匂いが辺りに立ち込めた。
「これくらい、いいよね……」
一息で紙コップの中身を煽れば、炭酸の半分抜けた甘い刺激が食道を通り抜けて胃の奥に落ちてゆく。
「んっ……、あ……」
喉の奥に引っ掛かったソレを首の筋肉を動かして送り込むと、思わず妙な声が出た。
「遊んでる暇ないよ?」
ソファに座り込みながら笑い含みで忠告するユキに、振り返りながら笑ってみせる。
「大丈夫、オトナの遊びだから……」
「家だったらこのまま一戦だな」
「御寝坊のボクちゃんは大人しく待っててね♡」
「はぁいママ」
かわいらしいお返事を耳にしながらドアを閉めたモモは、一度ドアに寄りかかって大きく深呼吸をする。
心なしか、腹の中が熱い気がした。
そんなことを思いながら廊下に駆けだすモモの唇の上には、薄っすらと笑みが浮かんでいたのだった。
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