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死がふたりを分かつまで

  • 執筆者の写真: rain
    rain
  • 2021年6月30日
  • 読了時間: 14分

更新日:2021年8月21日

◆烏(→?)+詠

◆詠くんが実はもう烏さん使役してる可能性もあるかもしれないという妄想。

 烏は千里眼を持ってるから詠にはマスキングされてるけど、実はもう下しているから居場所が常にバレバレだったら、なんか可愛い。








「ねぇ~~烏天狗さ~~ん……!」

 のんべんだらりとした声音で呼ばれて、烏天狗は煙管の吸い口から唇を離した。

 大きく吐きだした煙混じりの息は風に乗って舞い上がり、茜の空に向かって流れてゆく。

「烏天狗さ~~ん聞いてます~~?」

「何度も呼ぶな。聞いてるよ」

 そう言いながら視線も遣らず、烏天狗はまた吸い口に唇をつける。

 草の枯れた原っぱはどこもかしこも飴色で、まるで稲穂の海のようにどこまでも広い平原に人影は皆無だった。

 それもそうだろうか。時刻はあと少しで午後六時を刻み、秋の太陽が遠くの山稜に沈みかけている。人の子はみな塒に帰る頃合いで、どことなく甘い夕飯の香りが風に乗って流れてくる。畑や水場に残っている人間なぞ仕事のできない鈍間くらいだろう。

 西の空を見遣れば、目の前をすいすいと蜻蛉が飛んで行った。

 冬に向かって今にも転がり落ちそうなこんな秋の原っぱに赤とんぼ一匹など、珍しいこともあるものだ。群れから逸れて迷っているのか、それとも死に遅れて彷徨っているのか。どのみちこれからの季節に命はそう長くないだろう。

 蜻蛉の羽音に紛れながら、唸り声が耳に流れてくる。

 枯草の海原がさわさわと揺れ、「こうかな?!」「読めない!」と喉の奥に引っかけたような甲高い声が夕暮れに響き渡る。

「できたのか?」

 また空に向かって煙を吐き出すと、烏天狗は唸り声のあるじ、詠を見遣った。

「まだ……です……」

「随分とろいなぁ」

「だって、何て書いてあるかわかんないんですもん!」

 文句に軽く笑いながら、よっこらせと年寄りくさく掛け声をかけると、尻に敷かれてこびりついて来る枯れ草を払いながら詠の背中に近寄った。

 隊服の襟からはみ出した白いフードに後ろ髪に引っかかりながら揺れ、右に左にと右手に持った紙をひっくり返している。

 一本歯が原っぱの砂利を蹴る音が聞こえたのか、詠が振り返った。こちらを見上げる躑躅色の両眼はすっかり弱り切ったと訴えかけているのが心底面白い。

「なんだ、できてるじゃないか」

「えっ、できてます? ひとつも描き間違えちゃだめなんですよね? っていうか、コレ、何のための陣ですか?」

 矢継ぎ早に問いかけられて、烏天狗は覚られぬように内心で眉根を寄せた。

 詠が蹲っているのは、とうの昔に草が枯れてしまい、黄土色の地面が露出した原っぱの窪みだった。そこには詠が両手足を大きく広げたとしても到底両端に届かなさそうなほどの、巨大な円陣が描かれている。

 四環の円の間には円環どうしの空白埋めるようにびっしりと絵柄が描き込まれ、中心の空白にはまだ何も描かれていない。あと一環、内側の円が足りないが、この分なら日暮れ前には間に合うだろう。

「おまえは知らなくていいんだよ」

「えええ、こんなに苦労して描いてるんだから、ちょっとくらい教えてくれても良くないです?」

「苦労が何だ。俺様の丁稚なら文句を言わずにやれ」

 煙管を片手に見下ろせば、詠は急に薄ら笑いを浮かべて、作業に戻り始める。

詠が絵柄だと思いながら描いているものは、実はこちらの世界の古い絵文字だったりする。

 こちらの世界の、とはいってみても、烏天狗が幼い頃には既に体系づけられていて、その後使用者が少なくどんどん衰退していった文字なので、おおよそ千年以上前には廃れた象形文字のようなものだ。今ではこの文字を覚えている者など幻界に数名しかおらず、等の烏天狗だって紙に残された設計図を基にしか陣を復元できない。

(それを人間にやらせようっていうんだから、俺も悪いな……)

 とは思っても言わない烏天狗は、自覚しているよりも相当に性格が悪いのかもしれない。

 ふいに枯草の香ばしい香りの乗った秋風が吹き、緩く結ばれた髪が揺れた。陣に伸びる影は随分と長く、烏天狗は苛立ちを声音に塗しながら言う。

「詠、早くしろ、間に合わない」

「そう思ってんなら手伝ってください!」

「文句の多いやつだな……」

 仕方なしに、絵柄を傷付けないように環を跨いで陣内に踏み込むと、一本歯でその場にしゃがみ込む。煙管の火皿を枝代わりしながらぐるりと内円を描き、さらさらと土の上に文字を認め始めると、後ろから覗き込むようにして詠が文句をつけてくる。

「できるんじゃん……」

「誰が書けないと言った?」

「うっ……ごめん、なさぃ……」

 詠は心底厭そうに顔を歪めながら自分の作業に戻っていった。

 最内円の文字は図面を見なくても書ける。なにせ自分の情報だ。これくらいはまだ覚えている。それだけの話で、別に意地悪をしたわけではないのだが、説明するのも面倒で烏天狗は鼻を鳴らす。

 暫く互いに無言で地面に這い蹲り、やがて背後で詠が歓声を上げた。

「できました! 完璧っ!!」

 丁度最後の文字を書き終えた烏天狗が横から覗き込むと、きっちりと閉じられた最内環も絵柄で埋め尽くされていた。

 内側から回りながら確認してみると、渋々遣らされているといった調子でとろとろ手を動かしていたにも拘わらず、意外にも詠の仕事は懇切丁寧で、手直しを必要とする箇所はひとつも無いようだった。

「もういい? 帰ってもいいんでしょ? ねぇ~~おねが~い!」

 枝を陣の外に放りながら、詠はそわそわとこちらを見上げてくる。

 帰ると言っても、小脇に抱えられて運ばれてきたこの場所が一体どこなのか、詠はわかっていないだろう。烏天狗だってよくわからない。陣を描くのに丁度よく、人通りが少なそうな場所を空から探しただけなので、帰り道は空に昇らねば見つけられないのである。

 そんなことも露知らず、いや、知っていて暗に帰せと強請っているのか。

 この詠という人の子は時折、まるで雛鳥のようにしてぴいぴいと媚びた態度と口調でものを言ってくる。一寸たりとて好き好んで出している声音ではないのだろうに、まるで自然にその喉から転がり落ちたのだと言わんばかりの愛嬌で胡麻を擂ってくるのだ。

 一周回ってわざとらしささえ感じさせる物言いのせいで同胞らには強かで根性が悪いと思われるのだろうが、烏天狗にとってみれば浅ましさを通り越して、性根の逞しさに眩暈さえ感じそうになるほどに、時たま、強く眩しいのだった。

 そうだ、詠は逞しい。

 人間というものは浅薄で、意地汚く、この原っぱいっぱいに広がる枯れた雑草のようにして、醜くて生汚い。ぼろぼろと知らない間に生まれ、増えて、そして勝手に死んでゆく。その命は信じられないほどに短く、瞬きをすれば睫毛の間をすり抜けていくようにして、脆い。

 だからこそ、長く生き永らえた身には、人間の逞しさが存外好ましいのかもしれない。

「詠、おまえ、まだ帝都に戻りたいと思っているのか?」

 今にも陣を抜け出してさっさと逃げていきそうな詠は、思いのほか低く転がり出た烏天狗の声音に、一瞬ぽかんと唇を開けた。こちらを見上げる躑躅色に茜が射し、金の耳飾りが秋の輝きを投げかけてくる。

「別に……どうでもいいじゃないですかぁ! アナタには関係ないですよ」

 苦々しく歪められた口元は、しかし一瞬で軟らかく解かれ、逆に口角が持ち上げられる。

 烏天狗は眉根を寄せた。

 そんなふうにわざとらしく誤魔化さなくても、詠が早くこの界隈を去りたいというのは誰しも理解している。烏天狗を篭絡させようとして喰らった代償は、人間の短すぎる人生の中では大きいのだろう。

 何のために詠が自分を調伏しようなどと思いついたのか、詠と出会って五年経った今でも、烏天狗は未だによく解っていない。

 再戦を誘うようにしてこうやって二人きりの場所に連れ出してみることなんかしょっちゅうだ。それなのに詠は文句を言いながらでも従順で、肌身離さず背負っている刀の鯉口を切ることもない。

 未だにこちらの首を狙っていてたまに可愛らしく媚びてみせるのは油断させるためなのか、はたまた調伏に興味が失せたから単純に命の保証のためなのか、詠の態度からは真意を計り知れなかった。

 計り知れない、と烏天狗に思わせるだけの底の深さが、この人間にはある。

 いつか腹を割いて、底に眠っているものが光なのか闇なのか覗いてやりたいと思っている。

 だが今はまだ、その時じゃない。

 そう思いながら瞬く間に五年が過ぎ去った。

 人間の短い人生に於ける五年が、過ぎ去ってしまったのだ。

「詠、こっちに来い」

 烏天狗は陣の真ん中に立つと、葉をぞんざいに落とした煙管を懐にしまい込み、今にも円環を跨いで飛び出していきそうな詠に向かって右手を差し出した。

「は? なんで」

「いいから、こっちに来い」

 強引に二の腕を引いて目の前に立たせると、詠は腕を振って抵抗してみせる。

「待ってよ! この陣って、僕を殺すためのものじゃないですよね?!」

「何を莫迦なことを」

「僕をカエルに変えたり烏に変えたりするためのものなんじゃ……」

「それもいいかもしれんな」

 烏天狗が笑い含みで言えば、詠の頬から一気に血の気が引いた。

「まだ死にたくない!」

「俺に挑んできた小童がよく言う」

「僕にはまだやらなきゃいけないことが残ってんの! 烏にしないで!」

「おまえの言う、やりたいことってのは何だ?」

「あんたに関係ないだろ! ――離せよっ!!」

「こら、暴れるな」

 軽く右手に力を込めると、詠の二の腕に指が食い込み、そのまま今にも音を立てるかというほどに骨が軋んでゆく。詠が顔面を歪めたので慌てて右手の力を緩めた。

「僕、何か気に障ることした……? ちゃんとあんたの言うこと聞いてたじゃん……」

「………」

「僕まだ、死にたくない……」

「………」

「お願いです……何でもするから殺さないで……」

(ほら、まただ)

 詠の甘えた語尾に烏天狗は、自分の首筋に急激に血が昇り、頭の中が騒がしく沸騰するのを感じていた。

 まただ。また簡単に、媚びてみせた。

 これだからこの人間は逞しいというのだ。

 そんなに死が怖いか。そんなにやるべきこととやらが大事なのか。帝都に何を残してきた。この人間が求めているモノとやらは、この大妖怪の自由と一緒に天秤に掛けられるほどに価値のあるものなのか。だとしたら、それは一体なんだ。

 沸騰した血の正体が何であるのか、烏天狗にはよく解っていない。それを知ったらおそらく自分は、急に興味を失って簡単に詠を見捨てるだろう。もしくはこんなに詰まらず無価値なものと並べられたのかと矜持が痛むのかもしれない。

 興ざめして詠に背を向けるか、怒り狂って詠に迫るか……、どのみちその時がやって来た時に詠がどんな顔をして情けない姿と言葉で媚びて見せてくれるのか、想像しただけで血が躍る。

「……いいだろう。それもまた愉快だな」

「帰してくれるの?」

「いいや。死にたくなかったら、俺の言うとおりに復唱してみろ」

 詠は腕を摘まみ上げられたまま、躑躅色の大きな瞳に薄い涙を浮かべた。そこに沈みかけの太陽が反射し、炎のように揺らめきながら辺り一面に秋の香りを振りまいている。

「僕は何に変えられるの……烏はやだ、妖怪もやだよ……」

「安心していいぞ。おまえにとってはこれ以上ない『僥倖』だ」

「だから! 意味がわかんないって!」

 烏天狗は抗議の声を鼻先で笑うと、空を見上げた。

 視線の先、真っ赤に燃える丸い鬼火が、遠くの山稜にその揺らめきを投げかけている。

「解らなくていい。今はな。――時間だ」

 言うが早いか、詠の左腕をするりと指先までなぞり、その親指に嚙みついた。

「いっ、た……!」

 指の根本からどくどくと血が流れ、烏天狗の掌があっという間に血に染まってゆく。詠の掌を親指ごと握り込めば、金の耳飾りを揺らす秋風に乗り、遠くの寺鐘が暮れ六の時を刻んでいるのが微かに耳に流れ込んでくる。

「復唱しろ。-――『我は時の子、人の子なり』」

「我は時の子……、人の子なり」

 見下ろした先、詠の両眼の縁に貼りついた瞼が猜疑にぴくついている。

「『呉れたる天には破邪の雷』」

「暮れたれる空にはハジャのいかずち……」

「『骨から肉へ、肉から皮へ、皮から溢れて掌へ』」

「骨から肉へ、肉から皮へ、皮からあふれて掌へ……」

「『開かれよ七門、わが名は詠』」

「開かれよ七門、わが名は、詠……?」

 詠が首を傾げた。

 烏天狗は小さく笑った。

「『これに動くは風魔にあらじ、汝、わが前に形貌を示せ』」

「これに動くはフウマにあらじ、汝、わが前にケイボウを示せ」

「『伏せよ、――』死がふたりを分かつまで」

「伏せよ、――、死が二人を別つまで……」

 詠の両眼が見開かれ、茜色の空が暗く染まる。

「……って、待って!!!!!」

 直後、空が一閃した。

 轟音と共に円環に雷が落ち、握り込んだ詠の左手が衝撃に戦慄いてゆく。

「ぁ、うぁ、……ァ――」

 閃光の中、強く握り込んだ掌からまるで動脈を傷付けたかのようにして血が沸き上がり、熱を孕みながら烏天狗の右腕を這い上がってくる。

「どうだ詠、おまえの望み通りだぞ」

 蒼白い光を全身に浴びながら烏天狗は凶暴に笑い、詠の身体はゆっくりと後ろに傾いてゆく。

「っと――」

 慌てて背中を支えた時には既に、辺りは元の黄金色に射す茜の景色に戻っていた。

 詠が意識を失って、雷が途絶えたのだ。

「これだから、無理なんだよなぁ……」

 軽く笑うと、詠を肩に担ぎあげて陣の外に出る。

 あれほどの轟雷を受けたはずの地面には焦げた跡一つ残っておらず、相変わらずの美しい夕焼けに雲がぽつりぽつりと漂っている。

 地面に詠の身体を寝かせて左手の傷口を診ると、そこには血のあとが黒くこびりついていた。軽く指の付け根を擦れば、雷に焼かれた傷口は無様な傷跡を残したきりで、血はとうに途絶えていた。

 烏天狗は立ち上がって円陣を見下ろすと、葉扇子を一振りする。途端に巻き起こる小さな竜巻の尾が地面にめり込むようにしてそこらじゅうを走り、陣の気配など跡形もなく消し去っていく。

 詠は、というか人間たちの殆どは知らないのだろうが、妖力の高い妖怪の調伏にはいくつかの条件が必要だった。時刻、天気、陣、術者の妖力、そして最後に、こちらの意思である。

 このすべてが整わなければ、烏天狗は下れない。他の妖怪はどうか知らないが、少なくとも烏天狗はそうなのだ。

 陣は術者の妖力を高め、対象の妖力を弱める。それには陣の内円に対象の真名が必要だ。両者に戦闘が必要なのは、こちらの意気地を折り相手に下ってもいいと思わせるためだ。時刻は両者の気配が最も近づく逢魔が時が最適で、天気はできれば晴れが良い。何もない空に雨雲が立ち雷が落ちるというド派手な演出が楽しいので、これはまあ、烏天狗の趣味だ。

 条件さえ整えれば調伏など簡単なのに、詠はそれに五年間一切気付きもしなかった。

 気付いたとしても簡単に整えてはやらないし、半妖でもないただの人間に烏天狗の意気地を折るなどできるはずもない。

 詠はおそらく、この意味を知らないだろう。こちらは真名で応えたが、詠の真名は知らないから、調伏も契約も中途半端だ。それでも、使役するには充分な効力があるはずで、烏天狗はこの先詠が死ぬまでの短い時間を、この人間の下僕として過ごすことになる。

 名前を呼ばれればたたき起こされ、助けを求められれば否が応でも戦闘に駆り出される。拒まれれば指一本すら触れられず、扇子で簡単に吹き飛ばしてみれば自分に手痛いしっぺ返しが来る。

 烏天狗の調伏などできるはずもない、詠というただの人間。

 それなのに自らに制約を課してまで小童に下ったのは、単純に、血が沸くような興奮が欲しかったからだ。

「俺も焼きが回ったな……」

 いや、歳を取りすぎたのか。

 どちらでも一向に構わないが、下ったからには、精々残りの人生の全てを使って楽しませてほしいところである。


「おい、詠。起きろ」

 暫く詠を転がして己の愚かな行いを反芻していたが、いい加減に腹が減ってきた。

深く考えるのは趣味じゃない。

 考えすぎると臓腑が痛む。痛むと病み、妖力が落ちる。

 長生きの秘訣は何かと聞かれたら、飯のことだけを考えられる屈託のなさであると烏天狗は応えるだろう。

 一本歯でのんべんだらりと伸びきっている脇を突くと、詠はいきなり飛び起きて自分の両手足を何度も撫でて確かめた。

「嘘……烏にされてない!」

「だから、おまえなんぞを使役して、この俺様に一体なんの得があるんだよ」

 しゃがみ込みながら呆れて問えば、沈みかけた夕陽に焼かれた躑躅色の瞳が予想以上に涙で潤んでいる。

「本当に死ぬかと思った」

「壊すかい、こんな楽しい遊び道具!」

「ひどい……」

「酷くないだろ。おまえの悲願を叶えてやったんだ」

「悲願って何……」

「そりゃあ、秘密だろ」

「……もういやだ。烏天狗なんて、嫌いだよ……」

 そう呟くと、詠はゆっくりと立ち上がった。笑い含みで見上げると、こちらに目もくれず、そのままとぼとぼと歩き始める。ぐったりと疲れ切ったようにして肩を落とし、背中に挿した立派な得物がたいそう重そうだ。

「おい、どこに行く! 帰り道がわかるのか?」

「うるさい! 自分で帰るから放っておけよ!」

「なんだ……拗ねやがって」

 小さく舌打ちをすると、腹の虫が一度大きく泣きわめく。

 烏天狗は仕方なしに、下駄を鳴らしながら悠々と後をついていく。

 枯草は今は茜を通り越して紫に染まり、ついに最後の陽光が遠くの稜線に沈んだ。

「ついて来るなよ! 飛んで帰ればいいじゃないか!」

「おまえを置いて帰れるか」

「もう、いやだよ……」

「厭と言われてもなあ、仕方ないんだよ」

 もうはや己の馬鹿げた行いが恨めしく感じられ始めたから、まったくこの短気な性分にも困ったものだ。とは口が裂けても言えない、絶対に言いたくない烏天狗である。

 草でも吸いながら歩いてみるかと懐に右手を突っ込んだところで、急に詠が立ち止まった。そしてくるりと踵を返すと、こちらに向かって両手を広げてくる。

「ごめんなさい……運んでください……。あちこち痛くて……歩けない」

 一本歯が原っぱの砂利を弾き、煙管の吸い口を唇に挟んだまま烏天狗は思わず呆けた顔をしてしまった。

 見下ろした詠はすっかり俯いてしまい、白黒の派手な旋毛が紫の薄闇の中に丸い鞠のようにしてこちらに向けられている。

「いつもそうやってりゃ可愛いのになぁ……」

 嘆きにも似た烏天狗の言葉に、詠は何も返さなかった。腕に抱え込んだ詠の身体は秋の暮れに生ぬるく、いくらか腹の底が暖まった気がした。

 どうせ瞬きのように短い時間だ。これくらいのことなど、我慢にも苦労にも入らない。


 いつかあの陣の意味に気付いたら、詠はどんな顔をするだろうか。

 喜べばいいなと、まるで明日の天気を予想するのと同じ程度に思いながら黒々とした翼を羽ばたかせる烏天狗には、己の首筋を這い上る熱の意味を未来永劫解さないのかもしれない。

 おそらく妖怪とはそういう生き物で、だから人とは相容れないのだろう。





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